【めぐり逢い】幼馴染A子がアポなし来訪。男がやってきた。男はなんと…
1日1回クリックお願い致します。
にほんブログ村 2ちゃんねるブログ 2ちゃんねる(面白・ネタ・コピペ)へ

スポンサーリンク

まだ20代前半の頃のはなし。

私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。

久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。

A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。

話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子にふーぞくへ行くように命じた。
A子拒否。
怒り狂った夫にボウリョクで脅され、
監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。
年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。
庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDVを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし。
都会の警察は違うかもしれないけれど、警察に呼び出された義父が帰宅してから
母にさらにボウリョクを振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。
私も東京に知り合いがいるわけでもなく、同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。
現実的にそれしかない気もした。その時、ピンポンが鳴った。私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。

ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。私はめまぐるしく考えた。

逃げなきゃ、と思った。アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…
とベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。

心臓が一瞬止まって血の気が引いて、次に顔がかーっと熱くなった。
閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。

男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。

男の一人が、奥さん、逃げたらだめだよ、
旦那の借金はちゃんと返してもらうよ、とかなんとか言ってた。
気づいたら私とA子はへたり込んで、両手をしっかり握り合ってた。
この際だから、お友達にも協力してもらう?なんて、誰かが言った。
私は、男たちの顔を順番に見て、一番偉そうな男の顔を見て、あれ?と思った
ぴた、って思考が止まって、あれ、誰だっけって思った。
向こうも私の顔を見て、何か思い出したみたいで、隣の男に何か言って、私の出したハガキを見て、
また何か言って、全員ぞろぞろと部屋を出て行った。
私とA子は、へたり込んだまま茫然としていたんだけど、
私はさっきの男が誰だったか、一生懸命考えていた。
母の男は次々変わって、年も職業もいろいろだったけど、まあどれもろくでなしだった。
でも母の男たちの年齢よりは、かなり若かった。まだ30代半ばくらい。
それにろくでなしたちは、あんな幹部的な人ではなく、チンピラ程度の下っ端ばっかり。
私の実父も、いわいる「鉄砲玉」かなんかで、刑務所に入っている間に生まれた。
祖父母が認知すると前科者の娘になってしまうと、わざわざ認知しなかったような男。
やっと動けるくらいに落ち着いてから、私は玄関の鍵をかけに行って、なんとなく、
ドアを開けたらその男が廊下に立ってた。
ビックリしたけど、怖くなかった。
顔をじっと見てたら、男が玄関に入ってきた。男は玄関からは上がらなかった。
台所には足跡がいっぱいあって、男はそれを見て、眉をぴくって動かした。
変なもんで、その眉毛で、記憶がぱーっとよみがえった。
男は、義兄でした。義兄と言っても、幼稚園から小学校の低学年くらいの間、母と暮らしていた男の息子で、
私も同じ苗字を名乗っていた気がするので、たぶん義兄だったんだと思う。当時義兄は高校生くらいで、原色のTシャツと、ボンタン?ふっとい学生服ズボンの印象がある。
学ランも長くて、膝くらいまであった。

義兄はとても良くしてくれました。母は私の世話なんか全然しなかったので
一緒に暮らしていた間、義兄がご飯作ってくれました。
よく義兄の彼女が来ていて、ヤンキーだけど優しかった。
妹さんのお古だけどって、かわいい服や、可愛い文具なんかもくれた。
私の人生の中で、あの頃が一番幸せだったように思う。
それでも、その一時期をすっかり忘れていました。
私は、義父に売られていました。義父の小遣い稼ぎで、オヤジたちに。
義兄に泣いて訴えたら、病院へ連れて行ってくれた。
たぶん、病院から通報されたんだと思う。
義父が逮捕されて、母になぐられた。
お前が我慢しないからだって。
その後、施設に入ったけど、しばらくの間、義兄はよく面会に来てくれた。
私は母に引き取られたり施設に戻ったりを繰り返していたので、義兄とは連絡がとれなくなった。
中学を卒業する頃、母が酔っぱらって車道で寝ていて車にひかれてシんだ。
それで東京へ出てきた。
A子は中学時代、そんな私にでも仲良くしてくれた唯一の友達だった。
でも世の中甘くないよね。中卒で保証人もいないような女を雇ってくれるところなんかない。
結局、昼は超底辺工場で働いて、夜はキャバクラ。そのうち、定時制の高校を出て、
昼は小さい会社の事務に雇ってもらった。当然生活出来ないのでキャバクラも続けてた。
義兄に「元気だったか」と聞かれたので、うなずいたら、「そうか」と一言言って、
頭をポンポンされて、そのまま帰って行った。結局、義兄に会ったのはこれが最後。
数日後、弁護士がやってきて、A子の夫の借金はA子が返済する義務は一切ありませんと言われた。
A子には、就職先と住まいが用意されてた。
弁護士に義兄の連絡先を聞いたけど、教えてくれなかった。
A子を脅しに来たやくざ者たちがどこの人たちかもわからないし、私にとって「おにいちゃん」
でしかなかった義兄の名前もわからない。
私は勤め先の息子と結婚した。
結婚した時、弁護士さんが、義兄からの結婚祝いを届けてくれた。それっきり音沙汰ない。
夫や義父母にはある程度は話してあるけど、義兄の事は言っていない。
A子も今はまともな人と結婚して幸せに暮らしている。
ドアスコープを覗いたら、向こうもこっちを覗いてたんですよね。
中に人がいるかどうか確認するため覗くらしい。知らないから、ビックリしました。
男たちは寝室の窓から入ってきてました。
なんで今頃この話を投下したかというと、A子がおばあちゃんになったと連絡が来たからです。
うちの子たちはまだ高校生なんだけど。
私の生活はあの後も前もあまり変わりなかったので、夢だったんじゃないかと思う事もある。
自分の子供時代は抜け落ちている部分がかなりあって、子供時代から妄想癖があるので、
現実と妄想の区別がとても曖昧なんだよね。
でも義兄が食べさせてくれた、でっかいパフェの記憶は妄想じゃないと思うんだ。
最近、更年期で涙もろくてさ。義兄に会いたいと、よく思う。
毎年、弁護士さん宛てに家族写真入りの年賀状を送っている。
義兄に届いているといいなぁ。
ずいぶん前に、このあたりのスレで書き込みました。
昔、借金取りから逃げてきた友人を追って来た借金取りが生き別れの義兄で
毎年弁護士経由で年賀状を送っている更年期のおばさんです。
兄の事を思い出すと辛くて会いたくて仕方なくて、母が酒浸りだったので
私は付き合い程度の酒しか飲まなかったのに、私も酒浸り状態になりました。
更年期で薬を処方してもらっていたのでキッチンで泡ふいて倒れて、運ばれた病院で
夫に義兄の事も家族や生立ちを全部話しました。
とても複雑な話なので、過去に部分的にぽつぽつ話した事はあったけど、
じっくり話したのは結婚20年で初めてでした。
結果から言うと、夫はほぼ全部知っていました。それも私が知っている以上に。
なんで知っていたの、と聞くと、なんと義兄から聞いていたそうです。夫は義兄の消息を知っていました。
うちは自営なので、過去何度も経営の危機に陥りました。その時に助けてくれた取引先が義兄の息のかかった会社で、結婚時に夫が取り寄せてくれた
戸籍に載っていた義兄の名前を見て義兄と私の関係を知って、話をしに行ったそうです。

私は幼くて覚えていませんでしたが、義兄は母からいろいろ聞いていて覚えていたそうで
私の消息を探す過程で義兄は私の実父や実祖父の事も調べてありました。ふたりとも健在です。

私も母も父は刑務所に入っていると思っていましたが、それは嘘でした。
祖父母が妊娠した母を追っ払う為についた嘘です。

要はちょっとしたやんちゃ時代に母と知り合って遊んだだけで、ちゃんと大学を出て
祖父の会社を継いで、今では地元の名士として安穏と暮らしています。
私の事は義兄が訪ねるまで知らなかったそうで、私の知らない間に私を認知していました。

祖父については、もっと話が複雑です。
私の祖父は進駐軍の将校です。つまりアメリカ人。祖母はそのお相手役でした。

母が生まれた後祖父は帰国、数年後に母を日本に置いて祖母も渡米、そのまま米国で亡くなりました。
母は認知されていたので母も私も米国籍を持っています。(私は知らなかったけど)

結婚するまで私は天涯孤独と思っていましたが、実際には米国に祖父や叔父叔母従兄妹がいて
日本には父と異母弟妹がいたわけです。

夫は義兄から口止めされていたそうで、でもずっと義兄と連絡を取り合っていました。
ただ私がそこまで義兄の事で思い詰めているとは思っていなかったようで謝ってくれました。
そして義兄がいるホスピタルに連れて行ってくれました。
義兄は、会いに来たらいけないよと、何度も言いました。
私は最初の日は一日泣き続けて話になんてまるでなりませんでした。
義兄は末期のがんで、年末に亡くなりました。
最後の数か月だけでも一緒に過ごせて、本当に良かったです。
沢山話が出来たし、記憶よりずっと小さくて痩せた体で、でも幼い頃のように甘えさせてくれました。
義兄の人生も波瀾万丈でした。
私を可愛がってくれた高校時代の彼女と結婚して子供も生まれたのに
二人を事故で同時に亡くしたそうで、それ以来孤独に暮らしてきたそうです。
夫は20年もの間、ずっと義兄の事を私に話すべきかどうか悩んでいたそうです。
悪い事も沢山したのだろうけれど、私にとってはとてもいいお兄さんだった、
とても大好きだったと義兄の為に泣いてくれました。
葬儀は私の家族だけで行い、妻子と同じ墓に埋葬しました。
遺品はほとんど処分済で、お墓の納骨室の中にほんの少しだけ家族の遺品がありました。
見覚えのある大好きだったお姉さんの遺品を見たらまた泣きました。https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1407507980/
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1415927686/
スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事